稲葉浩志「タッチ」とWBCの熱狂。上杉達也は保険に入るべきだったのか?|空想おかねシリーズ
主題歌は稲葉浩志さんの「タッチ」。
このニュースを聞いた瞬間、肩の痛みを忘れて鳥肌が立ちました。
B’zを聴いて育った僕らの世代はもちろん、今の若い子たちが、あの圧倒的なシャウトで「呼吸を止めて一秒」と畳みかけられる。想像するだけで、2026年の日本は熱狂に包まれる未来しか見えません。
しかも、あの映像編集です。
「タッチ」のサビに合わせて、選手同士のハイタッチ。
グラブでボールをタッチ。
勝利の抱擁。
同じ“タッチ”という言葉が、青春から勝利へ、恋から国家の歓喜へと意味を変えていく。
正直、鳥肌が立ちました。
でも。
この熱狂の裏側で、僕ら実務家にはどうしても見えてしまう「影」があります。
名作『タッチ』の核心にある、弟・和也の死。
これを単なる美しい悲劇で終わらせるのは、あまりに危うい。
今回は、あえて無粋を承知で、僕の主観100%で書かせていただきます。
上杉達也は、あの時、保険に入るべきだったのか?
期待のエースという「最大資産」の喪失
和也は、上杉家、そして街全体の希望を背負った、将来有望な超優良資産でした。
人的資本の価値でいえば、今のプロ野球の契約更改における何十億という金額すら、彼の「未来」に比べれば安いものです。
それが、ある日の交通事故で一瞬にしてゼロになる。
よく「子どもに保険はいらない」と教科書通りの回答をするFPがいますが、僕はそうは思いません。
和也の死によって、上杉家の家計に起きたのは「葬儀代」なんて小さな話ではない。
優秀すぎる息子を失った両親が、明日から元気に働けるわけがない。
親の労働意欲が消失し、収入が途絶え、家庭という組織が「精神的な債務超過」に陥る。
保険とは、亡くなった子の代わりにお金をもらうためのものではありません。
絶望の底に突き落とされた家族が、お金の心配をせずに「立ち止まって泣くための時間」を買うための盾。
僕はそう定義しています。
達也が背負わされた、他人の人生という「負債」
弟の代わりに甲子園を目指す。
達也の覚悟は美談ですが、FPの視点で見れば「他人の人生という巨大な負債」を肩代わりした状態です。
自分のために生きる権利を半分捨て、亡くなった弟の「評価」を守るためにマウンドに立つ。
これは、自分の全財産を他人の銘柄に一点張りするような、あまりに過酷な投資行動です。
2025年末に膀胱腫瘍の手術を経験し、2026年の今こうして仕事に戻っている僕だから分かります。
病気や事故で「助かった」後の人生、あるいは「残された」側の人生こそ、長く、重い。
不安な時に冷静な判断力を失わないためには、心に余裕を持たせるための「防具」が必要なんです。
家計はWBCではなく、ペナントレースだ
WBCは短期決戦の祭典です。
でも、僕たちの人生や家計は、一生続くペナントレース。
達也が最終的に南を甲子園へ連れて行けたのは、天才的な才能だけではない。
地道な走り込みで体を作り直し、何が起きてもマウンドに立ち続ける「継続の力」があったからです。
あなたの「アタッシュケース」の中に、大切な人が立ち止まるための薬草は入っていますか?
あなたが倒れたとき、残された家族が冷静でいられるための防具は揃っていますか?
挑戦は、守りがあってこそ輝く。
稲葉さんのシャウトを聴きながら、そんなことを考えた2026年の夜でした。